2006年08月15日

カナダでホームステイ

今日は私のカナダでのホームステイの思い出を短くまとめてみたいと思います。

私がカナダに始めて来たとき(1994年)は、バンクーバーから飛行機で約1時間内陸に行ったところにある、カムループスという町でホームステイをしました。私は幸いカナダ人の友人のご両親がホストファミリーになってくれました。その頃のカムループスは人口7万5千人でした。今は8万人です。気候は半砂漠気候で、夏の気温は30度から40度、冬はマイナス10度〜30度という寒暖の差が激しい地域です。

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夏はキャンピングや、川で水上スキーをし、冬は近くにあるサンピークス・リゾートで、思う存分スキーを楽しみました。最近はどんどん開発されて、サンピークスはまるでウィスラービレッジのようです。

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実は、ホームステイをする前の年の夏に1週間カナダに遊びに行き、ホストファミリーとなってくれる方達とも面識がありました。(その頃はカナダに長期ステイすることは考えていませんでしたが)よって、ホームステイの学生として再び彼らに会った時は、“ようこそ”ではなくて“お帰りなさい”と言ってくれました。その夏の旅行のおかげでワーホリでカナダに着いた時には緊張がなく、直ぐに生活に溶け込めた気がします。MYKでは“ワーホリ下見ツアー”を手配していますよね。本番に突入する前のとてもいいワンステップになると思います。

さてさて、私は最初の4ヶ月はワーキングホリデーでCanadian Tireという総合雑貨店でアルバイトをして(ホストファミリーの義理の娘さんがCanadian Tireで働いていたので、そこに引き取ってもらったのです。。。。)、5ヶ月目から学生ビザでUniversity College of the Caribou(現Thompson Rivers University)に通いました。

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今はガハガハ笑っている私ですが、当時ホームステイを初めてしたときは、毎日、“おしとやかに笑う地蔵”でした。YesとNoとPleaseとThank you だけで生活していました。

ホストファミリー(バート・パパとモナ・ママ)は引退したカップルでいつも家にいました。それが私には良かったようです。学校から帰ってくると、一人になる時はありませんでしたから。英語づけの毎日でした。

モナは元気なおばあちゃんでお友達とコーヒーを飲みに行くときも、お散歩に行くときも、夕食の食材を買いに行くときも、孫に会いに行くときも、いつでも私を一緒に連れて行ってくれました。週末には頻繁に、彼女の子供達が住んでいるケローナ、シッカムース、ペンティクトンに1泊旅行に連れて行ってくれました。

バートはとても頑固なおじいさんで、台所、シャワールームの使い方、お鍋の使い方、野菜畑の手入れの仕方など、バート流の生活術を教えてくれました。出来る限り自然の中で、文明の機器を使わずに暮らすことをモットーとしている・人のような人でした。そうそう、クリスチャンのバートは私が台所に置いていた醤油を見て、憤慨したことがありました。ラベルに“醸造”と英語で書いてあったからです。クリスチャンの彼にとって、“アルコール類”を家に置くなど考えられなかったのです。(醤油はアルコール類には分類されないですよね。。)それから、小さいお鍋を使うのに、大きいバーナーを使ったときも、電力の無駄だと怒られましたっけ。。。色々ありましたが、どれもこれも、お互いにお話をしたら理解、解決できること。“そうかー!そういうことだったんだ〜”、と。

バートとモナには6人の子供と10人ぐらいの孫がいて、彼らの家はいつも沢山の人が出入りしていたので、私の交流関係も広がりました。特に娘さんの一人は私と年が近かったので、とても仲が良くなりました。

モナとはダイエットも一緒に頑張りました。シニアだったモナはお医者さんに体重を減らすように言われたそうです。膝もわるかったので。そしてお医者さんに“日本人の女の子がホームステイをしていて彼女は沢山食べてもスリム”と話をしたそうです。そうしたらお医者さんはモナにダイエット方法として、“Eat whatever she eats!”とアドバイスをしたんですって。時々家で日本食を作って食べていた私ですが、それから暫くはモナの分も作りましたっけ。

バートが山に遊びに行ってしまった時は、膝の悪いモナのために私は掃除、洗濯、草刈など出来る限りのお手伝いをしました。それから、バートとモナの孫の子守りをしたり、近所のプールに連れて行ってあげたりもしました。その時に子供達の方が私の英語をよく理解してくれる!と思いました。若い子供の耳は新しい音(日本語のアクセントのある英語)に順応しやすいのでしょうか。

二人はクリスチャンで日曜日は教会に行きました。私も毎週のように連れて行ってもらいました。(私はクリスチャンではないのですが。。)そして、皆に合わせて口パクをしながら賛美歌を歌いました。教会に行った後は、いつも信者の方達と一緒にレストランで昼食を頂いてました。それから、教会で出版している料理ブックに、私の和食のレシピも掲載して頂いたり、バザーに参加したりと、教会関係のイベントにも沢山参加しました。

その当時のカムループスという土地柄もあったのかもしれませんが、このような生活のおかげで私はどちらかというと、日本人の友人はほんの数人しかいなくて、2年間殆どカナダ人の人に囲まれて過ごしました。学校では日本人のお友達と一緒でしたが、一度家に帰ったあとは友達と出かけることが余り有りませんでした。その代わりモナと夜のお出かけをしてました。シニアですから、コーヒーを飲みに行ったり、ビンゴホールに行ったりですけどね。結局2年間ホームステイしましたが、もっと滞在したかったぐらいです。滞在最後になると、バートとモナから「あなたを養女にしたいのですが。。」と言われたほど。その時は、「私もそうしたいけど、私は一人っ子なので、無理ですね〜。」と丁重にお断りしました。

カナダに来て3年目からは私はバンクーバーで働き始めたのでカムループスとお別れ。でもその後も年に1回はカムループスに行っています。

カナダのアパートで一人暮らしをすることも、たくましい生活能力を得ることが出来ますから素晴らしい体験ですし、大学寮に滞在すると同年代のお友達が沢山出来ていいですよね。でも、私にとってこのホームステイはとても貴重な経験でした。ホームステイも、人と人との触れ合いですから、ホストファミリーと意見が違ったり、誤解が生じたり、一緒に笑ったり、苦労したり、頑張ったりと、、沢山の経験をしました。どれもこれも貴重な思い出です。

自分の家、自分の時間、自分の生活の中に、自分達と全く違う文化背景を持った“私”の存在を受け入れてくれたバートとモナに感謝の気持ちでいっぱいです。

J.KOSUGI


posted by myk at 05:35| Comment(0) | TrackBack(0) | カナダ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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